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2017年04月25日

春遠からじ~DQ65からの挑戦~



スミレちゃん、3年生。


ぐりの教室に初めていらしたのは、転勤で福岡に引っ越していらしたばかりで
見知らぬ土地での支援学級へ入学を控えた 年長さんの秋のことでした。

「福岡 発達障害 療育・・めっちゃ検索しました」と、お母さん。

みつけにくい教室を
よく探し出してくださったと感謝の気持ちでいっぱいです。

「DQ65で、学習障害もあります」
そうお伺いしてから一通り課題を進めた後、
お母さんに「それにしても、よくここまでにしましたね」と、
思わず声をかけたことを今でも鮮明に覚えています。

言葉はまばらで反応も薄く、フワフワ焦点が定まらない状態。
まだ小さい下のお子さんと一緒になると、
みるみるハイになってドタバタが加速する、
そんなお子さんでした。


見ればわかります、
ここまでの道のりが、決して平坦なものではなかったということは。

いらした当時のスミレちゃんは、ずっと座っていられるし、
数字と平仮名、カタカナをほぼ書けるまでになっていましたが、
その陰には、お母さんの並々ならぬ努力の跡が伺えます。

「ほら、リンゴよ!って指をさしても、全く何もわからないという状況でした」

スミレちゃんは保育園に通うまで、以前にお住いの地域で
療育の家庭教師のレッスンを受け、お母さんご自身でも懸命に療育なさったとのことでした。

それにしても、福岡でいうところの、
一般的に『療育』と言われているものに通われたり、
お母さんが療育を施したり勉強を教えたりなさって、
事態をより一層深刻なものにしてしまわれるケースを数多く目にしてきましたが、

スミレちゃんは、お母さんの指示によく従うよう上手に指導されており、
いかにそれが適切な判断と対応で充実したものであったかが
手に取るように伝わってきて感動しました。


スミレちゃんの変化が特に著しかった、入学前から1年生を終えるまでの経過を書き記します。


週2回のレッスンを始めて3ヶ月程でしょうか、
「ポツ、ポツ、と言葉が出るようになって、覚えた歌をうたったりするようになりました」
と、初めて明るい声のお母さん。

言語の表出がないお子さんのお母さん方にとって、
言葉が出るということは、たっての願いでもありますね。

その頃、お母さんから「今まで私に従うようにしてきたけど、少し扱いにくくなった」
と、お伺いすることがありました。

お母さんの涙ぐましい頑張りの甲斐あって、
周囲からの働きかけに応じて行動できるまでになっていたスミレちゃん。
しかし、レッスンを始めて理解できることが少し増えてきたために、
それまでにはなかった意思や感情、興味が芽生え、指示に背くようにもなったのでした。

この状況に進まれた生徒さんたちをみると、
認知機能が上がった途端、誰から教わるわけでもなく、
まるで、それまで年齢相応に経験してくるはずだったことを遡ってやり直して味わうかのようにも受け取れ、
本能って神秘だなぁと感じます。
お母さん方にとっては、たまったものではありませんが・・。

毎回45分のレッスン。
終了前5分になると「おかしゃん(お母さん)のとこ、行く」と泣き始める時間の正確さ。
ようかい体操第一には俄然張り切る可愛らしさ。
数や図形、ピアノなどの分野はグングン吸収して伸びをみせますが、
言葉自体は増えていきながらも、やり取りするまでには
まだまだ全然時間が足りない状態でした。
いらしたのが就学前だったので、やむをえません。

レッスンを始める時期によって、最優先することは異なります。
スミレちゃんは、近くの小学校の支援級への入学が決まっていました。
支援級の体制は、学校や担任の先生によって対応にバラつきがあります。

まだ、ほとんどの行動の意味を理解できず、多くの指示を必要とするスミレちゃんは、
『学校にいる時間を過ごせるものを身につける』に焦点を当てて準備に追われた半年でした。

そんな中、無事に入学を迎えたスミレちゃん。
お子さんの成長の喜びをかみしめる嬉しい行事も、
その一方で、お母さんにとっては不安と心配も大きく、
どんなにか複雑な思いだったろう思います。

ぐりの教室での課題に深くご理解頂いているスミレちゃんのお母さんは、
スミレちゃんの担任の先生にもご協力をお願いなさり、
授業の時間の課題として取り組むことができたのですが、
やはり、内容の意図を理解してのアプローチなどを望むことは難しく、
一人でただ時間を消化しただけに終わり、本来の目的に達する前に飽きてしまったのでした。

また、スミレちゃんはミスに抵抗があり、
一つ一つの答えに対する確認が必要だったため、
学校で選ぶ課題も、限られたものばかりとならざるを得ませんでした。
そんな単調な毎日でうんざりしてしまったのか、レッスンにも影響が出たような印象もありました。
仕方ないよね。。。

どのご家庭でも 多様な教材や情報を気軽にたくさん入手できますが、
発達障害のお子さんが、理解できるように教え、日常で使えるまでに導くには
膨大な時間と労力、そして根気を必要とします。
また、教え方を間違えると事態を更に悪化させることもあり、
それが引き金になって、二次的な障害を引き起こし、
安易にやってしまう怖さも兼ね備えているのは事実です。

そして、スミレちゃんの小学校生活で、初めての大イベント、運動会。

「みんなが立って並んでいる中、一人だけしゃがみ込んで地面をさわってて」
と、静かにお母さん。

お子さんが一人だけ、周りと全然違うことをしている様子を
目の当たりにしたときのお母さんのお気持ちを思うと、
胸が痛んでなんとも声の掛けようがありません。
これまでにも、それなりに行事を経験してこられているとはいえ、
やはり、小学生になってからのお母さんへの衝撃は、
周りからは計り知ることができない程のものだと想像しました。

運動会をきっかけに、スミレちゃんは頻繁に耳をふさいで落ち着きをなくし、
お母さんと離れることにも不安を抱くようになったりと、
お母さんの心配をさらに募らせることとなりました。

自分の状態を認識しにくい小さな体は、かなりのストレスを抱えて疲れきっていたに違いありません。
それでもレッスンをお休みしなかったし、させなかったことには本当に頭が下がります。

運動会が終わってからは、小学校での生活の見通しも立ち、
ようやく、それまで手が回らなかった言語面にも 取り組むことができました。


2学期になると、1年生の授業の雰囲気もそれまでとは変わります。
交流学級で過ごす時間も増えてきたスミレちゃんは、
黒板を書き写すことはできても、その場で何かを学ぶということまでは難しく、
授業中に、立ちあがって外に出てしまうことが、
2年生の1学期くらいまで度々あったようでした。

ひとり言と空笑も目立ち始め、更にお母さんの心配も強くなります。
発達障害の特徴的な行動でもありますが、
スミレちゃんの場合は、言語を司る部分が活動を始めたこともあり、
手持ち無沙汰になると、すぐに好きなアニメが頭の中に思い浮かんで、
そのセリフが声に出てしまう状態でした。

3学期には、相手の反応というものを認識できるようになり、
自分の行動が、周囲から好奇の目で見られていることに気づいたり、
お友達の輪に入れてもらおうと話しかけると、シーンとされてしまい、
自分が受け入れられていないという雰囲気を、感じとれるようにもなりました。

誰かを意識して自分から関わろうとするなんて、今までにはなかったことですが、
当時のスミレちゃんの状態では、まだ幼い周りの子どもたちが戸惑ってしまうのも わからなくもありません。
その時のスミレちゃんを想像しただけでも、とても哀しい経験ですが、
こんなに早い時期に、スミレちゃんが『傷ついている自分』に気付けたことは、大きな収穫だったとも思っています。

また、その場に居合わせたお母さんの やるせない気持ちを思うと辛すぎますが、
子どもたちのことは子どもたちに任せ、
哀しい場面でも後ろから見守ろうというお母さんの姿勢に、
只々、頭が下がるばかりでした。

そして、1年生も終わりを告げる頃には、やり取りのパターンもグンと増え、
下のお子さんと話しながらおもちゃで遊んだり、簡単な質問にも答えられるまでになっていったのです。


それまでポワーンとした世界にいて、スミレちゃんがよくわからなかったものの最大の1つは、
お母さんを愛している、お母さんから愛されたい愛されている、という実感です。

ずっと、スミレちゃんに全ての人生を捧げてこられたお母さん。
思い描いていらした子育てとのあまりの違いに、どれだけ戸惑われたことでしょう。
大きくなっていくお腹とともに膨らんでいた夢や希望に満ちた生活から一変、
不安と苦悩でいっぱいの日々を送ることになられたお母さんの心中は、察するに余りがあります。

そのお母さんの惜しみない愛が、ついにスミレちゃんの人に対する関心を引き出したのです。

この頃からスミレちゃんは、お母さんへの執着、独占を意識し始め、
レッスンが終わってエレベーターのドアが開き、下のお子さんと一緒のお母さんの姿を見ると、
いきなりプリントを投げ出して脱走したり、うずくまって騒ぎ、
最後は「もうピアノ教室いかなーい!」と毎回大泣きしながら帰っていくということが、
かなり長い期間続きました。

下のお子さんへの やきもち。

本当は、もっと早い時期にやっていたことなのでしょうが、
スミレちゃんにもそんなときがきたのです。

このような状態が続くと、お母さんの心が折れてしまうことも多いのですが、
スミレちゃんのお母さんには、事態を正確にご理解頂くとともに、
本当に辛抱強く対応してくださったことにも深く感謝を申し上げます。

ここまでが、入学前から1年生にかけてのスミレちゃんです。
あの状態から本当によくここまでになったねぇ、そんな気持ちです。


2年生になったスミレちゃん。
支援級での予期せぬ『お姉ちゃん扱い』に戸惑ったり、
「一人でやりたい」が芽生えてお母さんをヒヤヒヤさせたり、
反抗期を迎えたかのような言動が一気に増加し、停滞するようなこともありましたが、
どのお子さんにも見られるような、健全な成長の経過を辿ってきました。

ぐりの教室でのレッスンでも、
学校生活の大半を交流学級で過ごすことを見据えたものに切り替わりました。

「筆算ができるなんて思いもしませんでした」

スミレちゃんは基本的な数の概念は、しっかりと身についており、
足し算引き算に関しては繰り上がり、繰り下がりも含めた文章題も理解してこなせます。
自分で問題文を読み、選択肢から選ぶこともできるほどの読解力もつきました。

衝動的な同じミスを繰り返すことは減り、比較や見通しを立てて、
どうすればよいかを考えられるようにもなりました。

言語面、機能面の取り組みは、まだまだ続きますが、簡単な会話は成立しています。

両手に人形を持って人形劇のように遊んだり、
なにより、友達同士で家族ごっこをして遊べるということが大きな成長の証ではないでしょうか。

2年生の修了式に学校の先生から
「1年生の頃からみて、スミレちゃんが一番コミュニケーション力が伸びましたね」
というお言葉を頂いたと、晴れやかな笑顔のお母さんは とても印象的でした。


この4月から、スミレちゃんは3年生になりました。
授業の大半を交流学級で過ごせるようになり、ひとり言を発する時間も減る方向に進んでいます。

また、最近の小学校の授業は班ごとに話し合う活動も多いのですが、
スミレちゃんもその場に参加し、発表する役割などを任されて上手にこなしている姿などを通して、
お母さんの口から、スミレちゃんができたことのお話をお聞きすることが増えてきました。

「スミレの10年後の姿なんて描けない」と、
不安と焦りでいっぱいだった1年生の秋におっしゃっていたお母さん。

3年生での時点、5年生6年生での時点で、ぐりが目指している状態をお話しても、
そんなことは信じられない、想像もつかないといったご様子でした。

無理もありません。
それが現状から想像する一般的な親御さんの反応であり、
事実、そうでない情報も多くあるのですから。

長く続けて下さったことで、これまでを振り返り、スミレちゃんの変化を実感して頂くことができたお母さん。
また、それがお母さんご自身をも肯定することにもつながり、お母さんの自信へとつながります。

成果を確信できて、お母さんがスミレちゃんに描くイメージも、
これからは、より現実的なものとなっていくでしょう。

その山に登った人だけが知っている景色。
思ってもみなかった豊かな生活、というのはあります。

これからは、スミレちゃんが自分の心に刻む感動と思い出を
ご家族皆さんと一緒にたくさん作ってもらうことが、ぐりの願いです。


この2年半、ここには書けないたくさんのドラマもありましたが、
スミレちゃんは見違えるほどの成長を遂げています。
学習面の伸びはもちろんですが、人とのふれあいに関心を持ち、
それに伴って わき起こる様々な感情は、
スミレちゃんの生活に大きなハリを与え、欠かせないものとなっています。

学校は適度にこなしてくれたらいいと考えている ぐりですが、
スミレちゃんが、ご家族や周りの誰かとつながることで存在する意義が生まれ、
自分で自分の存在価値を見出してくれるといいなと思っています。

「授業参観に行くと、最近は皆に馴染んでてどこにいるのかわかりません」

お母さんの言葉に、1年生の運動会でのことを話していたお母さんを思い出して胸が熱くなりました。

片道1時間の道のりを 週に何度も往復してくださるお母さんの後姿を
スミレちゃんが思い出す時も、そのうちきっとくることでしょう。
そして、スミレちゃんもお母さんのように、
思いやりのある素敵な笑顔の女性になってもらいたいと思っています。


スミレちゃん、あなたに出会えてよかった。
お母さんのお陰ですね。
ぐりは、いつでもスミレちゃんを応援しています。

ありがとう♪

  


Posted by ぐり先生 at 21:00Comments(7)療育ピアノレッスン